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太田小ブログ

 太田小の開校記念日は、学校設置が正式に決まった令和4年3月18日です。この日は、行田市議会会議録によると、「行田市公立学校設置条例の一部を改正する条例」が市議会で可決された日です。議事録には、太田西小学校と太田東小学校の再編について、地域説明会や準備委員会での話し合いの経過、そして新しい学校名を「太田小学校」と決定したことが記されています。さらに、採決では議員全員の賛成により条例案が可決され、太田小学校の誕生が正式に認められました。地域や保護者の皆様、関係者の思いが形となった3月18日。太田小学校はこれからも、先人の願いを受け継ぎながら、子供たちの未来を育む学び舎として歩んでいきます。

令和4年3月行田市議会定例会会議録【行田市議会 会議録検索システムより抜粋】.pdf

 太田小の学区には、行田市を代表する名所「古代蓮の里」があります。古代蓮の里では、約1400年~3000年前のものとされる古代蓮「行田蓮」が咲き誇り、多くの人々に親しまれています。この行田蓮は、昭和46年に市内で発見された種子が自然発芽したことをきっかけに知られるようになり、太田地区はその発見にゆかりの深い地域として知られています。
 太田小学校では、地域の歴史や文化を学ぶ中で、この貴重な郷土の財産に親しんでいます。また、古代蓮の里は全校徒歩遠足の目的地の一つでもあり、子どもたちは実際に豊かな自然に触れながら、ふるさとの魅力を学んでいます。地域の誇りである古代蓮の里は、太田小学校の歴史や教育活動とも深く関わる大切な存在です。これからも地域と学校がともに、その価値を次の世代へ受け継いでいければと思います。
  

 太田小学校の校章は、令和5年4月の開校に向けて、一般公募により静岡市在住の内藤正徳 氏のデザインが採用されたものです。

 その校章デザインの説明には、【太田小学校と同地区の「古代蓮の里」にある「行田蓮」をモチーフとしました。1400~3000 年前のその姿を現代に蘇らせる生命力に満ちた行田蓮のごとく「児童たちよ、たくましく健やかに花ひらけ!」という願いを込めました。また、七つの虹色は、さまざまな個性を持った児童たちを表現し、尊重する姿勢を表しています。上部には、もともと太田東小・太田西小の校章に共通で描かれている「桜」を継承することで、先人を敬い、両校の一体感と伝統を表しています。】とあります。

 東西両校の校章に込められた思いを継承し、太田小学校をさらに素晴らしい学校にしていきたいと思います。

【太田東小の校章】

 行田市章の行を外廓とし、太田の太を桜花にかたどり、行田市の中央部より東小の教育は湧き出で、また、本校の教育は行田市の中央を示すことを意味して、東小と中央部に表示し、花びらの同位置に於ける二重は、教育は何回も繰り返し前より拡大発展を意味して大小二重にしています。

【太田西小の校章】

 中央には国花の桜の花を配し、5弁の花びらと下にあるつぼみで太田の「太」を表し、田と西を配して太田西の子どもを象徴しています。左側の菊は父、右側の桐が母を意味し、父母の限りない愛に育まれ、桜の花の如く雄々しく、美しく、品位ある人間となることを願っています。

 本日、早朝より、学校応援団の皆様にご協力いただき、校内の除草作業を実施しました。体育館東側花壇周辺をはじめ、校庭東側の樹木周辺、学校敷地南側の空き地など、広い範囲で作業を行っていただきました。厳しい暑さの中にもかかわらず、午前中いっぱい熱心に活動してくださったおかげで、校内が見違えるほど美しく整備されました。2学期からも子供たちが気持ちよく安全に学校生活を送ることができます。学校応援団の皆様の温かいご支援とご協力に、心より感謝申し上げます。

  

 太田地区では、小中合同で様々な会議や研修会を行っています。午前中は、小中合同の学校運営協議会に続き、小中合同の児童民生委員主任児童委員協議会を開催しました。午後からは、小中合同の学校保健委員会と、小中合同研修会を実施しました。非常に盛りだくさんの日程でしたが、小学校と中学校の連携を深める貴重な時間となりました。

  

 太田小学校の校歌は、大正9年に作られたので、少し難しい言葉や昔の考え方が入っています。子供にも分かるように意訳すると、次のようになります。

1番 雲の向こうに見える富士山は、日本を代表する大切な山です。
わたしたちは桜の旗のように美しく、思いやりや勇気をもった日本人の心を大切にしていきましょう。

2番 利根川の近くの平和な村には、お米や麦がたくさん実ります。
みんなが力を合わせて一生懸命に働くことで、地域も国も豊かになっていくのです。

3番 学校で学ぶ毎日は楽しく大切な時間です。
先生の教えを守り、勉強やさまざまな活動に努力しましょう。
そして、立派な人、よい市民となって、ふるさとのため、日本のために役立つ人になりましょう。

 大正時代らしく「国のため」という言葉が多く使われていますが、今の子供たち向けに言い換えると、「学校で大切なことを学び、優しく立派な人になって、地域や社会の役に立つ人になろう」という意味の校歌だと考えることができます。

太田小学校校歌(太田小第一回卒業生斉唱).mp3

 夏休み中の校舎内は静かですが、体育館には学童の子供たちの元気な声が響いています。暑さを避けながら、ボール遊びや紙ロケット飛ばしを楽しむ姿が見られました。出勤する教職員も少なくなり、普段とは違う落ち着いた学校の雰囲気です。また、他校の子供たちも学童を利用しており、楽しそうに交流する様子が印象的でした。静かな校舎とにぎやかな体育館の対比に、子供たちの夏の活気が感じられます。

 明治22年から24年までの間、太田西小学校と太田東小学校は、太田学校とその分教室という形で、元々一つの学校でした。明治25年に両校はそれぞれ独立した小学校になりましたが、大正9年(1920)11月に、別々の学校であっても、共通の校歌を制定しています。

 校歌が制定された大正時代は、日本全国で学校教育が充実し、多くの学校で校歌が制定された時期でした。本校もその流れの中で、校歌を制定しました。作詞者の芳賀矢一博士は、日本を代表する国文学者として国語教育に大きな功績を残し、多くの学校教育にも関わりました。作曲者の田村虎蔵氏は、「金太郎」「花咲爺」などの唱歌を世に送り出した音楽教育の先駆者であり、子供たちに親しまれる数多くの楽曲を手がけました。こうした当時を代表する二人によって本校の校歌が制作されたことは、大きな誇りといえるでしょう。

 その後、100年以上もの間、東西両方の小学校で共通の校歌を歌い継いできました。そして、その一つの校歌のもと、令和5年4月に東西両校も一つとなり、新たな統一校歌として、太田小学校に受け継がれています。

太田小学校校歌(太田小第一回卒業生斉唱).mp3

 本日、全児童分の新しい学習用タブレットの搬入がありました。これまで使用していた端末からの移行作業がスムーズに進むと、2学期には使い始められる予定です。新しく導入されるChromebook(クロムブック)は、起動が速く、操作が分かりやすいことが特徴です。授業の開始時にもすぐに学習活動に取り組むことができ、児童にとってさらに使いやすい学習環境となります。新しいタブレットを効果的に活用しながら、子供たち一人一人の学びの充実につなげていきたいと思います。今後のからの活用をぜひ楽しみにしていてください。

 太田小学校は、まだ創立4年目ですが、その前身となる太田西小の創立は、明治22年(1889年)、太田東小は、明治25年(1892年)であり、非常に長い歴史と伝統のある小学校です。さらに、東西両小学校とも、その歴史は、明治6年(1873年)、今から153年前にまで遡れます。

 この長い歴史の中で、実は、東西両小学校が、もともと一つだった時代がありました。明治22年、下須戸・小針に「太田学校(常光寺)」が置かれ、若小玉にその分教室(龍泉寺)、真名板にも分教室(全龍寺)が置かれていました。明治25年には、それぞれ独立した小学校になったので、わずか3年間でしたが、東西両小学校は、太田学校とその分教室という形で一つの学校だったのです。

【左(常光寺)、中央(龍泉寺)、右(全龍寺)】

  

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