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R80804_太田小学校の歴史②(校歌)

 明治22年から24年までの間、太田西小学校と太田東小学校は、太田学校とその分教室という形で、元々一つの学校でした。明治25年に両校はそれぞれ独立した小学校になりましたが、大正9年(1920)11月に、別々の学校であっても、共通の校歌を制定しています。

 校歌が制定された大正時代は、日本全国で学校教育が充実し、多くの学校で校歌が制定された時期でした。本校もその流れの中で、校歌を制定しました。作詞者の芳賀矢一博士は、日本を代表する国文学者として国語教育に大きな功績を残し、多くの学校教育にも関わりました。作曲者の田村虎蔵氏は、「金太郎」「花咲爺」などの唱歌を世に送り出した音楽教育の先駆者であり、子供たちに親しまれる数多くの楽曲を手がけました。こうした当時を代表する二人によって本校の校歌が制作されたことは、大きな誇りといえるでしょう。

 その後、100年以上もの間、東西両方の小学校で共通の校歌を歌い継いできました。そして、その一つの校歌のもと、令和5年4月に東西両校も一つとなり、新たな統一校歌として、太田小学校に受け継がれています。

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